最近はqol向上主義として行動するのが多いんだけど、なぜそうするのだろう、という自分自身への問いかけを今一度してみる。
qolというのは,たとえ計量できるものじゃないにしても、具体的に実感できないかというとそうではないんじゃないかなーと思ってる。
というのは、qolが十分に向上してる人というのは、それなりになんというか精神的に調えられてて、それが行動の端々に現れたりするんだろうと思ってるから。
で、そういう風に調えられた行動をする気持ち良さと、体系的に学問する気持ち良さは、通じるものがあるというか、同じなのかもしれない。
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