今日も昨日のような日だった。とてもしあわせでよかった。明日は雨が降るらしいが、たまにはいいんじゃないかと思う。
ここに書いてあるように、もっと気軽に死のうぜ!というのは、それだけ聞いたらちょっとアレかもしれないけど、なんというか、われわれは死というものを重く捉えすぎているような気はする。ちょっと話は逸れるが、身内が死んだら相続とか葬式とかでバタバタでそれどころではないのかもしれないけど、なんか、死んだらちょっとだけ気に留めて(?)もらって、あとは埋めるとかしておしまい、みたいな社会にならないかな(とまでは言わないけど、どちらかというとそういう社会に居たい)と思う。とにかく僕はおそらくこの本を読んでみるべきである。
あとは(しかしこの話のほうが頭の中では本筋だったのだが)、たとえば僕の場合、生きるのは全般的にだるいけど、生きることのだるさを軽くする物事は確かにあり、その上、わざわざ自分で死ぬことのだるさは、想像の範疇では、生きることのだるさよりも大きい、みたいなところがある。
この点に関しては、京極夏彦の 死ねばいいのに という本が、僕に少なからぬ影響を与えたように思う。この本でも(たしか)上の記事にあるようなことが書かれていて、なにか似たようなものを感じる。
死を重く考えなくなれば、
ReplyDelete自死によって世間に何かを訴えかけようというような、
そういうベクトルの自死は減少するように思ったのでコメントします。
自死を推すのって、もっと利己的に自分を生きようぜ、みたいなお誘いを包括している気がしませんか。
ありがとうございます。
Deleteすこし雑に、しかし思っていたままに申せば、僕の書いた「死を重く考えすぎである」というのは、生命がそれこそ字面通りに掛け替えのない、なにものとも交換すべきでないものとして見られ〈過ぎて〉いるように思う、というくらいのことです。しかしこの〈過ぎて〉というのは、すくなくとも価値の高さや社会における一般性の程度のみではないように思われます。われわれの生命に非常に高い価値のあることはわれわれの皆が常に考えておくべき事項ではありますが、その価値はつねには無限大でなく、人によっては自らの生命の価値を比較的に軽く見るものもあり得ます。そういうものが、たとえば幸福なまま死にたいと思ったときに、僕はおそらくそれを止めはしないだろう、という程度の話です。ところで、おっしゃられたように「自死によって世間に何かを訴えかけよう」という場合では(愉快犯的な自死や精神的な困窮の末の自死でもそうかもしれませんが)、ふとした瞬間になにかが自身の生命よりも(瞬間的にでも)高い価値をもったとか、ことをなすための手段として自死が最強力に思われたとかであれば、少なくとも僕の中では、それはおっしゃられるような利己的な自死と言えます。自死をとがめない社会というのがもしあれば、それは結果として利己的な生涯(あるいは利己的な自死)に対して(現在われわれの生きる社会よりも)寛容かもしれない、というのはたしかにもっともらしく思われます。
なんか僕の自然な考えだと
>死を重く考えなくなれば、
>自死によって世間に何かを訴えかけようというような、
>そういうベクトルの自死は減少するように思ったのでコメントします。
この文とまったく逆の結末になってしまいました。これはまったく僕の知的好奇心によって申し上げるのですが、よろしければ上の結論に至られた過程を教えて頂きたいです。
過程も語るほどのことではないのですが、
ReplyDelete⇒「死を重く捉えない」が社会通念になれば
⇒「死」の価値の下落
⇒「死」が社会に与える影響力の減少
⇒当然、何かを訴える人は「死」以上に強力な訴えを選択する
ということでした。
ところでそのような社会にあっても「生命が大事(価値が高い)」という通念は失われないと考えます。
あくまでも価値が下がるのは「死」という行為であって「生命」ではない。
おそらくは「生命の価値」と「死の価値」とを区別するか否かに、
私たちの意見の根本的な相違があると感じましたがどうでしょうか。
なるほどなるほど、たしかにおっしゃる通りです。これは単に僕の盲点でありました。たしかにおっしゃるような過程によって、自らの死によって世間に何かを訴えかけようというような自死は減少するのかもしれません。
Deleteところで、「『生命の価値』と『死の価値』の区別」についてですが、僕はおそらくかなりの原理主義者でありますので、それらはまったく違うものと思っております。上の僕の発言からそうはとれないというような場合はまったく僕の表現の悪さによるものですので容赦ください。
なんか、雑なたとえですけど、生命が資本で死が貨幣みたいな話かもしれないですね。自らの死をどう使ってもいいというようなアレとかで。
補足:生命の価値と死の価値の区別について、「僕がおそらくかなりの原理主義者である」ことは僕がそれらを区別することの直接の理由にはまったくなりませんが、全部書くのはつらいのでとにかくそういうことです。あと、僕は最初の返答では「死の価値は一定不変であるか、少なくとも高い価値を維持し続ける」と保証なしに仮定していたようです。失礼しました。
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